あるスーパーマーケットの風景(偽善的意識)

土曜日にスーパーに行ったとき、レジで前にみすぼらしいイケてない若めの男が前に並んでいたよ。手には3本ぐらいのみすぼらしいカーネーションを持っていた。レジを通しても500円しないんじゃないか?ぐらいの。でも「母親にカーネーションかー。優しい男だ」とホクホクした。しかし次の瞬間に「もしこれがみすぼらしい男じゃなくてチャラチャラした男だったら?」。「てめー女や自分の格好に金かけんのに母親にはそれだけかよ。ま、まぁカーネーション買う気持ちは誉めてやるぜ」ぐらいでむしろ批判的な感情を抱いたかもしれない。
なぜワタシはみすぼらしいというだけで、その男の母に対する愛情にホクホクしたんでしょうかね?わからねー。
ダイクマでものっすごい貧乏そうな夫婦が二人で奥さんのズックを見ていて旦那が跪いて奥さんのズックのサイズを見ているときに涙が出そうになったのを思い出した。これが高級ブティックで紳士が跪いて淑女の靴のサイズを見てたら「ナンパな男だよ」ぐらいな気持ちだったろうね。
いやー。なんなの?偽善だよな。勝手にホクホクしてるのは。しかしどうしてそういう風に思ってしまうのかしら?レジに並んだ男も普段はエロゲーやエロDVDに金使いまくって余った金でカーネーションかもしれないのにね。ボクちゃん超偽善的。